1月29日に副腎腫瘍と診断されました。
尻尾の根本からお尻上にかけておハゲちゃん
女の子なのですが陰部肥大がありました。
水をたくさん飲みおしっこが増え、ご飯もたくさん食べてました。
ですが2月16日
ご飯を食べなくなりお水も飲む量が減りました。
その日から覚悟をしていました。
人の死と同じくじんわりじんわりと
体力がなくなっていきました。
抱っこ嫌いだったのに抱っこの時間が増えて、寝てる時間も増え、遊ばない時間も増えました。
18日からはもぅ遊ぶ気力もなく、肩で息をする死戦期呼吸が始まりました。
この子は前から病院が嫌いで、人の思い通りになることすら嫌がります。←
なので、前から何かあった時は病院に頼らず家でできること、看取ることができるようにと思ってました。
19日は旦那も仕事でおらず、娘も保育園で日中は私と一緒にいました。
娘が帰ってくるのを待ってくれて
腕の中に居たり、よくわからない状態で徘徊を繰り返してましたが、ウンチだけはハンモックから降りて自分でしていたし、ケージ外にいてもウンチだけはしに行く賢い子で、もうしっかり歩けないのにコテコテと転びながら…
それを見るだけで涙が出てました、
夜中までケージにいるのを眺めつつ、この調子できっと旦那のことを迎えてくれるんだろうと思い寝ました。
朝5時ぐらいにケージから音が聞こえ見てみるとトイレ行ったのかハンモックに戻れずに困ってる姿がありました。
そこからケージの外に出し、徘徊したり休んだり…
私の腕に顔を置いて休みつつ私の顔をツンツンして起こしてくれたり。
本当に可愛くて…最後までなんていい子だったんだろ…😭💓
旦那帰宅して
リビングに場所を移して徘徊。
もう動けないのに発作のように起き上がってもがいて。。
それを繰り返したのちにお空へ旅立って行ってしまいました。
本当に可愛くて
遺体までも可愛いし
火葬した後も可愛くて…
懐かしい思い出も
あの子の性格も
全部思い出しては泣いてしまう。
本当に可愛い子でした。
どんなに黒い子にいじめられても、どんなに嫌を繰り返されても仕返ししたりせず、強く噛むこともしない本当にいい子でした。
2015.7.26から我が家に来て5年と7ヶ月
ありがとう
3月12日で6歳でした。
残された家族みんな大号泣
黒い子はあまり食欲がなく居ないことを寂しがっている。
みんなで乗り越えようね。
ポコがあの子に会えなかったことが一番心残り。
でもお空から見守っててね^ ^
また会う日まで。
お空でお友達と楽しく遊んでるんだよ☺️