産後セックスレスからの脱却後の避妊なし生活が始まり、数か月。
なんでも情報として得たことは試したいもこぞうは、海外製の排卵検査薬と妊娠検査薬を入手してしまいました。
安いからって、多く仕入れたからって、何本も何本も消費してしまうのでした…
画像が何枚かあるので貼っていきます♬
※心の目で毎度線が見えるムーブ突入
※排卵検査薬の線が濃かったのでもう自分の中で確定してずっとフライングをする笑
※高温期13日目のが下です
そうなんです…もこぞう…なんと二人目も比較的妊活期間短く妊娠しました👏
しっかり濃ゆくでた妊娠判定。
基礎体温は途中から不安のもとだったから図ってないんですが…
こんな感じで爆上がりの周期でしたね!
4週に出血少量をしたのを最後に出血はなく、5週5日目に診察へ行くことになりました。
ポンさん(一人目)の時は里帰りを予定していましたが、ポンさんがいる二人目の出産は家から近いところでと思っていたので、総合病院を選択しました。
(近い病院ならポンさんの保育園休んだりとか、ポンさんの生活を変えることなく行けるかな?と思ったからです⁂)
※後にわかることですが、不妊治療もタイミングやホルモン剤投与くらいまでは対応してくれる病院でした!
胎嚢と卵黄嚢を確認しました👏
心拍は見えなかったけど、子宮外妊娠などの確認も込みの受診だったので、ほっと肩の荷がおりました。
次の検診が翌週だったのですが、それまで不安は拭えず…
その間悪阻が出てきて吐き気とやや下腹部痛などがありました。
待ちに待った検診日。
その日は待ち時間も長そうだったのでポンさんと一緒に検診へ。
心拍も無事確認ができました♬
ですが、先生から不安な一言を添えられるのです。
「ちょっとこの週数にしては胎嚢の大きさが小さいかな…?」
当時はそんな不安になることを伝えてこなくてもいいのではないか?と思ってましたが…
この言葉で、多少の覚悟は持ててたのかもしれません。。
たった13日間がとっても長く思えたこの日。
心拍が見えません
7週で成長が止まってるみたい
そう告げられたその日。
その日はポンさんも主人も一緒で。
診察室から出て主人に告げると
「よ、よくあることなの?こんなことって…」
主人はようやく、妊娠が奇跡であること。
ポンさんが何のトラブルもなく生まれて来れたことを奇跡と痛感したのです。
⭐︎ここからは、もこぞうの個人的な考えなので以下の文章理解できない方も大いにいらっしゃると思います。それでも読んでくださる方は続きをどうぞ。
もちろん悲しい。
もちろん辛い。
でももこぞうはスピリチュアルな考え方を推しています。
雲の上の赤子達の話をその頃よく耳にしてました。
「お空には多くの赤子が待機していて、あのお母さんがいいと決めたお母さんのお腹に降りてくる」
「流産してもお空にその赤子が戻り、また時期を見て戻ってくる」
そういう話を聞いて、素敵だな…と他人事のように思っていました。
なので、流産したことを聞いた後
「そっか、今じゃなかったんだな…私達の器も小さいし、もっと私達もポンさんも成長してからがいいんだな」
と素直に思ったのです。
なので、すごく呑気に、
・自然排出ってどれぐらい痛いのだろう
・手術になればどんな感じで手術になるのだろう
って、経験できることに感謝したのです。
もちろんその経験をポンさんにはさせたくないけど、将来もしもそうなった時に寄り添うことができる。
そしてこうして今、記事にして少しでも流産と向き合ってしまった誰かの心の拠り所になれればいいな、と思うことができる。
だから、当時は流産になって泣いたのは1度だけ。
手術から数日後、夜主人が寝ている足に触れながら(なぜ足)「大きく育てられなくてごめんね」と声を押し殺して泣いたその時だけになりました。
稽留流産の手術日
ポンさん預けたり、面倒を見たりしてもらうのに実家に帰った方が何かと便利だなと思い、ポンさん出生病院に紹介状を書いてもらいました。
数日後手術日が決まって、その当日まで自然排出されることはなく、その当日も「流産だね間違い無いね」と念を押されるあたり…酷です笑
心の傷を抉ってくるなと思ったもこぞうであった。。
22時以降だから、そんなに苦痛でもなかった!
ですが、明日にはお腹にこの子はいなくなるのか…とずっとお腹を撫でていました♬
促進剤などをするときも、この処置あります!!
鈍痛を感じるぐらいで、そんなに激しい痛みではありませんでした。
注意:もこぞう痛みに鈍感です笑
生理2日目の痛みぐらいでした。
手術前から点滴がスタート!
この点滴ってなんだったのか…麻酔はその点滴に注射さして流した記憶…
手術後抗生物質を処方されたので、、そういう系なのかな…?
ちゃんと見ておけばよかった…反省…
手術室に入って麻酔開始。
秒で眠くなり、先生と雑談してたはずなのに寝てた、、笑
術中の記憶は全くありません。
今回この記事を書くにあたりいろいろ調べてみると、掻把手術は結構痛みがあるらしい…
なのでしっかり麻酔をかけるようです(なのに日帰りなのすごい笑)
術後に少しトントンされて、
「〇〇さーん、終わりましたからね~、今からお部屋戻りますよ~」
と声を掛けられ、麻酔抜けぬもこぞう
「§〇ΘΣ♯&。。」とお礼を言ったつもり笑
9時から診察で、12時40分には起きたもこぞう。
眠さはまだあるものの、しっかり目がさえた!
一緒に手術だった方も同じぐらいに覚醒してたので、麻酔は正確だな~と感心…
もこぞうは実家にポンさんを預けて付き添いはなしにしたので、「水分いいですよ~」と言われたけど買いにも行けずに部屋で横になったままでした笑
※もし予定がある方は、水分持参するといいかもしれません♬
14時には会計できて帰れるとのことだったので、トイレへ。
そこで、ふらふらして気持ち悪さを感じるが、三半規管強いもこぞうは耐え抜く←
出血もそんなにひどい訳ではなく、生理1日目ぐらい?でした♬
ごめんなさい…会計メモしてなかった…
けどそんな高くなかった記憶、、
3割負担で3万…とかだった記憶…です…。
術後は10日ほど出血が続きましたが、経過は良好でした!
診察はそれ以降はなく、2周期は妊活をやめましょうとのことでした。
※もこぞうは約束破ってネット上で怒られました…やめましょう←
総合病院での掻爬手術はドラマで見るような手術室で行われました。
私は結構特殊体質で、そういう場面に直面するとワクワクが勝りますが、一般的にビビるぐらいの広い手術室でした←
その頃私と同時期にポンの同級生ママも同じく稽留流産となり手術を受けたのですが、個人病院だったからなのか、診察する時の台に乗っての手術だったと話してました。
場所により様々なんだなーと2人で話しておりました。
そして、術後私よりもポンさんが不安定になることがありました。
子供の感受性に驚いて、2人でハグしながら泣いたことも…
彼女の感受性を大事にしたいと思った時期でした。
これら一連の流れは、もこぞう26歳の時の話です。
若いから大丈夫だとか、若いから妊娠すれば上手く行くだとか、そういうことはないということを痛感した出来事でした。
私は今回の流産後1年自己流の妊活を続けることとなりますが、振り返ってみてもいい思い出とはならず、あの頃の私には戻りたくないです。
流産に対してはマイナスなことを長引かせずに考えることができたけど、その後周りの妊娠、出産報告に喜べなくなるシーズンに突入したからです。
人の喜びを喜びと感じることができない自分に対し、自己嫌悪が付きまとう。
ポンさんからは赤ちゃん欲しいの圧がすごい…
主人が協力的じゃなかった周期は夫婦仲最悪でしたしね…
情緒がえらいこっちゃでした…
なんでかわからない、2人目のプレッシャーはかけられてもないのに永遠と感じてたし。
自分には無理なのかもしれないって毎周期思ってたし。。
負の連鎖です。
次回の記事は1年の妊活を振り返りますが、本当に一歩も前進しません。。
化学流産が追加されるぐらいです←
夫婦仲の話やポンさんの話。
私の気持ちにフォーカスを当てた記事になるかと思います。
温かい目で読んでいただけたら嬉しいです…笑
ではでは!
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